ケニアレポート

2009年2月25日
東北大学文学部倫理学専修 丸山 浩司

この度ケニアに滞在した時のことを記事にする機会をいただきました、丸山です。2007年にみやぎグリーン購入ネットワークの企画のひとつ、グリーンウォーカーに参加していた縁があってこの機会をいただきました。

私がケニアに滞在したのは08年の3,4月で、マリンディという海岸沿いの町からバスで10分ほどの集落でホームステイをしていました。ホームステイとしては短い期間でしたが、海外で生活したこの2ヶ月間は私にとってとても貴重なものとなっています。

今回は現地であった出来事をこまごまと報告することはせずに、2ヶ月間の滞在を俯瞰して私がそこから何を得たか振り返ってみたいと思います。

なぜケニアに行ってきたのか

日本からケニアまで飛行機を乗り継いで約20時間。そこに行き着くだけでも大変ですが、じつは私がケニアに行くのに何か具体的な目標や目的があったわけではありません。はじめにあった動機はただ「海外で暮らしてみたい」という思いだけでした。

私は環境問題等に興味を持って、まだまだ勉強不足ではあるけれど、それに関連した知識をそれなりに持ってはいます。また、それらの知識が自分の生活や行動に結びついていることも何となく理解できます。しかし、そうした知識や理解は日本の中にある常識によって捉えられたものです。私はその常識が通用しないところで、自分の考えていたことがどのように捉え直されるのか知りたいと思っていました。そして、それを知るには海外を旅行するだけではなく、海外で暮らしてみなければならないと思っていました。

そこで私はできるだけ日本から遠く治安のいい東アフリカを選びました。もともとケニアに行ったことのある友人から話を聞いていて、一度は行ってみたいと思っていた土地でもありました。そうして、日本のNGOに仲介してもらい、現地でホームステイをしながら近所の孤児院でボランティアをさせてもらうことになりました。

ケニアという国、マリンディという町

ケニアはインド洋に面する東アフリカの国で、国のやや南を赤道が通っています。赤道直下の国とはいえ、山あり海ありサバンナありで地域によって気候はさまざまです。首都ナイロビは標高が高いので、乾季は暑いですが雨季になると長袖が必要なくらい肌寒くなります。

ケニアには40以上の部族がいて、それぞれの部族がそれぞれの言語を持っています。ちがう部族同士では言葉が通じないので、ちがう部族の人同士で会話をする時はケニアの国語であるスワヒリ語が話されます。また、英語が公用語となっていて、学校や公共施設等では英語が使われています。だからケニアでは小学校に入ると誰でも英語が話せるようになります。英語が苦手な私は苦労しましたが、ケニアでは英語さえできれば生活にほとんど支障はないと言えます。

私が滞在したマリンディは観光地としても有名で、町のすぐ東には青く美しいインド洋が広がっています。ナイロビのような山地と異なり、ヤシやマンゴーが豊かに生い茂るまさに南国のような暑くて穏やかな町でした。ビーチ沿いには立派なホテルが建ち並びますが、少し町に入るとバザーがあったり大衆食堂があったりと地元の人たちで賑わっています。ホームステイ先のムサバハという集落は町からバスで10分くらいのところで、そこからは海は見えませんが緑豊かでのんびりとしたとてもよいところです。私が滞在したのは乾季の終わり頃の時季で、日中の日差しの強さと夜の蒸し暑さには参りましたが、毎日よく晴れて絶好の行楽シーズンでした。

ケニアと日本のつながり

日本から遠く離れたケニアですが、そこでは日本はかなり有名な国のひとつです。なぜかというと、ケニアの街を走っている自動車のほとんどが日本の中古車だからです。いかにも熱帯地方らしい光の濃い風景の中を、日本で見慣れたトヨタやニッサンの車両が行き交います。マタツという小型バスも日本製の中古バンを使っていました。

また、ケニアではいたるところで日本の支援団体が活動していて、井戸掘り、学校の設営と運営、橋の建設、農業支援や技術支援等々、たくさんの日本人スタッフがさまざまな活躍をしています。ケニアの人たちは、現地で暮らしながら現地の人たちと共に活動する日本の支援のあり方をとても高く評価してくれています。ナイロビやマリンディで話した人たちも、私に「日本は好きだ、日本には感謝している」と言ってくれました。このことを思い出すと、私自身は何もやっていないけれど、それでもやはり嬉しいような誇らしいような気持ちになります。

マリンディでいちばん有名な日本人はサッカーのナカタ選手でした。私が日本人だと言うと、地元の人たちは「ナカタ、ナカタ」と返してきます。子どもたちもサッカーが好きで、大きい子も小さい子も関係なくみんなでサッカーをしている姿をよく見かけました。私にとってはへばってしまいそうな暑さと日差しの中で、跳ぶように明るくかけまわる子どもたちの姿が強く印象に残っています。

孤児院で感じたこと

マリンディで過ごした2ヶ月の間は、午前中に孤児院の手伝いをしていました。学校に通っている子たちが昼食のために帰ってくる前に、掃除、洗濯、食事の準備など済ませておかなければならない仕事がたくさんあって人手が足りないからです。私は掃除や洗濯を手伝ったり、孤児院に残っている小さい子たちの遊び相手をしたりしていました。孤児院では外国人のボランティアに慣れているせいか、スタッフも子どもたちも物怖じすることなく私に接してくれました。

学校に通っていない小さい子たちはスワヒリ語を話すので言葉は通じないのですが、そんなことは関係なく一緒に遊んだり食事をしたりできました。学校に通っている子たちが帰ってくる前に私の仕事は終わってしまうので、普段は彼らとは会えませんが、ときどき午後や休日に孤児院に遊びに行って彼らと話すこともありました。彼らは孤児院のことをよく手伝っていて、しかも嫌々手伝っている風ではありませんでした。彼らにとって手伝うことは生活の一部であり、彼らはその生活を楽しんでさえいるようでした。

孤児院でだけでなくケニアに住むいろいろな人たちと接して、そこにはただただ普通の暮らしがあるだけなのだと実感したような気がします。ケニアは気候も街並みも文化も日本とはまったく違います。ですが、そこにはごく普通の人たちがいてごく普通の暮らしがあります。そんな当たり前のことを経験して、それが私の心に何かそれまでにない影響を与えたように思います。

日本に暮らす人間として

ケニアでおもに流れていたニュースは、当時内陸部で起こっていた政治紛争のことと食糧危機のことでした。環境問題に関する話題はほとんどなくて、人々の関心は工業や商業の発展にあるように思いました。街を出れば昔と変わらない豊かな大地が広がっているのだからそれも無理はないと思います。

しかしその一方で、ケニアの近代化が進んでいることも事実です。大きな町では家電製品が充実しているし、サイバーカフェに行けば1時間1ドルくらいでインターネットが利用できます。炭酸飲料の容器はリユースびんが主流ですが、ペットボトルのワンウェイ容器も使われるようになってきました。中国やインドのような切迫した状況ではありませんが、ケニア社会も潜在的に環境負荷が増大する方向に進んでいくでしょう。私たちはそれを批難することはできません。なぜなら、それらの国は私たちを手本にしているからです。

アフリカの国々にとって私たちの生活はお手本であり目指すべき目標です。私たちの社会は手本とされるほど素晴らしく、誇りを持って世界に広めていけるものでしょうか。そんな自問をしている暇などなく、私たちは胸を張って「ぜひ真似をしてくれ」と言える社会を目指していなければならないのだと思います。生活も仕事もその他の行動も、私たちは日本にいるという理由だけで世界にお手本を示す責任を負っていると言っていいでしょう。この責任を放棄することは論外ですが、それを重荷に感じることもないと思います。むしろ私たちは世界をリードする立場を与えられたのだと誇りを持って責任を担っていくべきだと思います。

私がこれから支えていこうとするのは、日本の未来だけでなく世界の未来でもあるということ。それがケニアで過ごした日々を振り返って思うことです。

前のページへ戻る>>


ページの先頭にもどる

Copyright (C) 2006 Miyagi Green Purchasing Network. All rights reserved.
掲載の記事・写真・イラストなど、すべてのコンテンツの無断複写・転載・公衆送信等を禁じます。
リンクについて